予約の「民宿のあずさ号」「十割そば道場」「手作り靴の夢ハウス」「飲食店夢ハウス」
「夢ハウスあずさ号」・・・子供たちに夢を!!
「AZUSA OF DREAM’S」
1996年正月に「あずさ号で旅する夢を見た」のが物語の始まり。その年の12月15日にあずさ号先頭車が我が家にやってきました。
特急あずさ号先頭車・クハ183-1002号が我が家にやってきて、2024年10月15日で28年と10ケ月目になります。
皆さんの応援のおかげです。心より感謝申し上げます。ありがとうございます。これからも「子供たちに夢を」で頑張ります。
FB(フェィスブック) https://www.facebook.com/kou.suzuki.102
あずさ号空室状況 http://www.yumehouse.co.jp/calendar
=警笛・車内放送・バネ式チャイム・ドア開閉・行先方向幕・前方幕・信号機・新たに新幹線駅放送も稼働中。=
定休日は毎月曜日と14日。
民宿は年中無休で営業しています。ご利用お待ちしています。駅長&助役
店内360℃ビュー ・・・ マウスを使って、「警笛・チャイム」をお楽しみください。↓↓
http://www.media-fun.biz/panorama/sannichivr/azusaspecial/viewer/?id=yumeazusa&mode=normal (山梨日日新聞社提供)
42歳で手作り靴と出会い、悪戦苦闘を繰り返して3年が経ちました。45歳の時、不思議な夢を見たのです。あずさ号に乗って旅をしてるのです。大糸線で安曇野の草原を駆け抜けて行きます。駅に到着すると、プラットホームには世界中の人が歌い、踊っています。しばらくすると警笛が鳴り、あずさ号は再び出発していきます。そして、この夢は心の中で増殖して、大きく育っていきました。安曇野にも行ったこともなく、あずさ号に乗ったこともありませんでした。44年前に両親から結婚祝いに戴いた半沢満さんの「安曇野好春」。正に大糸線を走るあずさ号からの景色でした。最近になって「あの夢は両親が見せてくれた夢だったんだ」と気づきました。
JR長野支社で「あずさ号の夢を見たので、あずさ号をください。」とお願いすると、それから2週間の間に考えられない奇跡が立て続けに起こったのです。上田市長が保証人になってくれたり、あずさ号を譲ってくれる事になったのです。大勢の鉄道関係の皆さんと関わらせて戴きましたが、皆さん、夢のあるそして、やさしい皆さん
ばかりでした。 小牧橋を渡るあずさ号96年12月15日
結婚祝いに両親から戴いた半沢満さんの「安曇野好春」
・・・不思議なことにこの風景が夢の中であずさ号から見えたのです。
あずさ号がやってきた96年12月16日 両親と撮影
特急あずさ号先頭車「・クハ183-1002号」は、夢を見たその年、1996年12月15日に国道18号線を走り、8時ちょうどにやってきました。僕の家族は夫婦と3男3女、7人目の子供として「あずさちゃん」が加わり、更に賑やかな大家族となりました。そして、起業から20年の月日がながれ、なんと孫7人が加わり,20人の大家族になりました。なんと昨年1月、8人目の孫が、なんとなんと4月には9人目の孫が・・・出産ラッシュに湧いています。「みんなに夢を」合言葉に夫婦で挑んだ、20年の奇跡のドラマは第2章に入ります。「この人たちにできたのなら、ぼくたちにもできそうやな」新しい夢に向かって、歩き始める人たちとの出会いです。「あきらめなければ、 必ず夢は叶います。」 さあ!一緒に夢に向かって、歩き始めましょう。
子供たちに夢を
家族21人になりました。 2017年1月3日
鉄道ビッグ4がやってきた。 2015年7月7日
大村崑さんとのご縁も阪神淡路大震災を挟んで、25年目 四半世紀を迎えることになりました。崑さんの出身地 神戸の長田区に手作り靴の修行に行ったのは震災の1年前でした。本当に信じられないけれど、崑さんからお電話を戴いて「浩さんの力になれればうれしいよ」と言って、7月1日の講演会・サイン会になりました。この時、お世話になった両親のお墓参りも実現しました。きっとお父ちゃん、お母ちゃんも喜んでいると思います。崑さんのやさしさに涙が溢れてきます。崑さん87歳をお迎えです。「今でも元気ハツラツ オロナミンC」です。50歳にしか見えません。僕は何度も崑さんに命を助けられています。崑さんを見つめて、僕も「元気ハツラツ オロナミンC」で頑張ろうと思います。昨年、フェイスブックで崑さんご夫婦のページを見つけました。この時、僕は医者から「透析」の危機を告げられていました。崑さん夫婦に倣って、スポーツジムに通うようになりました。1年が過ぎ、13キロ減、数値も驚異的に改善して僕もお医者さんもびっくりです。崑さんの神通力のおかげだと思いました。ありがとうございます。またしても命を助けてもらいました。あずさ号がやってきたとき、崑さんから電話を戴き、あずさ号を見に来ていただきました。「うちにも電車があるんだよ。」と言って、吹田の白亜の御殿にお招きいただきました。プラネタリウムやプールがあって、芝生の向こうに電車がありました。崑さんとの不思議なご縁が奇跡を起こして、今日を迎えることができています。来年の88歳のお祝いに夫婦で行くのを今から楽しみにしています。